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三宅洋平×ソーヤー海×冨田貴史 共生革命三者対談 後編(動画&音声&テキスト)

三宅洋平×ソーヤー海×冨田貴史 共生革命三者対談 後編(動画&音声&テキスト)

2018年5月、6月に三宅洋平マガジン「感覚と科学」で発行したメルマガに収録の、
【三宅洋平×ソーヤー海×冨田貴史 共生革命三者対談(動画&音声&テキスト)】を無料公開スタート!

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前編はこちら

【三宅洋平 (以下:三宅)】
俺の認識では、「NVCって何ですか?」っていうビッグクエスチョンを問われたら。

6~70年代のベトナム反戦運動とか、原子力・核反対運動、戦争反対、環境破壊反対、色んな社会的なムーブメントがあった中で、
どうしても怒りと憎悪と暴力的な衝動、「相手を潰せ」っていうベクトルに、どうしても流されてきてしまった。

そのことによって自分たちも結局傷つくし、結果は出ないし、そしてより多くのマスには「危ねぇ奴らだ」とレッテル貼られて、「正しいこと言ってるはずなのに」って苦しんできた。

で、そういうお父さんは家に帰れば、家族にいい顔もできるはずもなく。ましてや滅多に帰らないとか。まぁ人によっちゃあ、そんなことに首突っ込んでるうちに結婚もしてなかったとか。

結局、「自分の家族や自分はどうなんだ」っていうことがどうにもできてないのに、社会の平和や秩序を訴えてたり、っていうアンバランスが生じて。

で、多分「運動」っていうのは、日本の運動もずっとその痛みを背負ってきた。

「そこじゃない運動の在り方って何なんだ?」
何故なら、
本当に実効的な行動をしたいから。

「効果がないんだったら自己満足でしかないよね」っていう反省があったと思うんだよね。ムーブメント自体に。

そこから「アクティビズム」っていう少し新しい言い方が生まれて、
その中に『NVC』的な発想とか『パーマカルチャー』的な発想を取り入れたりとかっていうのが起きたと僕は思ってる。

だから『パーマカルチャー』は、「Bill Mollison(ビル・モリソン)」が、環境運動に首ったけの大学教授が、例に漏れず彼も離婚とかいっぱいしてボロボロになって、「こんなんじゃ俺もボロボロだ」と。

「そもそも自分の畑もねぇや、俺。まず自分の畑ねぇ奴に、どうやって革命ができるんだ?」っていう発想の転換から『パーマカルチャー』が生まれたと思うし。

「政府の庁舎の前で叫んでるよりも、俺は自分のガーデンの面倒を見て、それこそ向こう両隣り3軒に野菜配れてるか? 俺は。みたいなところからやり直そう」っていう、それが『パーマカルチャー』の一歩目だったと思うし。

『NVC』っていうのも、やっぱり「私対あなた」「私対安倍政権」っていう対立構造の中に、いつも自分を落とし込む運動の構造から、いや待てよ、「日本をどうにかしよう」とか「世界をどうにかしよう」っていう意味で「私たち」だよね。

I & I

レゲエで言うところの。

そういう哲学にもう1回ちゃんと立ち返って、「本当に戦争とか環境破壊とかにもう痛めつけられきったこの地球と、人類と動物たち、植物を本当に救わなきゃいけない」っていう切羽詰まった状況で、新しい人類哲学が生まれようとしてる。

その芽のひとつが『NVC』だと俺は思う。

【ソーヤー海(以下:海)】
うん、そうだね。

『パーマカルチャー』と『NVC』、僕がなんで実践して広めてるかっていうと、やっぱりね、現実的だから。

やっぱりもう「自分が生きたい世界を、もう生きろよ」っていう分野なんだよね。

だからやっぱり、誰かに訴えかけて「変われ、変われ」とかって言ってたら日が暮れるっていうかさ。

結局その結果、原発事故が起きてしまった状況だし、戦争も続いてるし。

で、やっぱりなんか、凄い頑張ったと思うんだよ、今まで活動してきた人。
で、物凄い頑張って、物凄い孤独な思いをして、散々もう仲間からも叩かれて。

まぁそういう体験、うちらもみんなもしてると思うけどさ、 やっぱり知らない人からも叩かれるし、反対してる人からも叩かれるし、でも内部からも叩かれる、みたいなさ。

【三宅】
一番応えるよね。

【海】
ね。

で、やっぱりそれを耐え切った人たちが、今の60歳以上の活動家、みたいなさ。

でもやっぱり孤独だし、どこかでこれを続けても結局、結果が出ないっていうところに行き詰まって、
しかも誰もやっぱりその生き方をついてくる人がいない。魅力的じゃないから。疲れてるし、結果も出てないし、なんか悲しい、みたいなさ。

それだったら全然もう、会社で楽しく金を作って生きたほうがいい、みたいなさ。
その幻想のほうが強いから。

でも、『NVC』と『パーマカルチャー』は、もう「うちらが生きたい理想をやっちゃおうよ」「ガーデンがあれば、そこから必要な食べ物がきて、自分が家を建てたくて、その建てるために木材が必要で、その木を20年前に植えてあったら、もうそれでお金を使う必要ないよね」みたいなさ。

そしたらもう、資本主義からとりあえず自分は退ける。

で、そのベースから社会を変えられるじゃん。

「非暴力」もやっぱり結局、まぁ「Gandhi(ガンジー)」からきてる「非暴力」って言葉だけど、「結局、敵がいる限りは戦い続けないといけない」っていう。

で、「それに疲れてるじゃん」みたいなさ。
「戦争も同じじゃん」みたいな。

「平和のためにアメリカは戦争に行くっていつも言ってるけど、それをうちら活動家がやっちゃったら意味がないじゃん」みたいな。

変わんない。

結局、「戦いは戦い」みたいな。

だからどこかで、そこを超越したい気持ちは、みんなあると思うんだよ。

「これじゃないけど、でもこれしかないのかな」ってところで戦っちゃってるけど、
でも、もう「敵」っていうのは、やっぱりうちらの心にしかいないから、それに気づいて、そしてしっかりそこと向き合って。

「敵対しない意識」を育てると、そこから無敵な存在になれるし、無敵なムーブメントができて、やっぱりそれがうちらが本質的に色んな、うちらが変えようとしてる問題、戦争であったり、原発の問題だったり、化石燃料の問題だったり、やっぱりうちらの生き方が、ちゃんとそのメッセージになったり。

うちらが「敵」っていうコンセプトを超越して、なんかもう、みんな味方。

「ただ立場上みんな変なことをやらされてしまってて、でも変わることも可能」みたいなさ。

「ただその上手なお誘いを、まだもらってない」っていうそこのレベルにいけると、なんか希望を感じるよね。

で、そこにいけなかったら、結局もう何百年も人間がやってることを、うちらはまた繰り返すだけなんじゃないかって。

【三宅】
「またこれかぁ」っていう。

【海】
そう。

【三宅】
こういう話ってそれで厄介なのが、例えば「対安倍政権どう」とか「トランプがどう」とか「原発や戦争や」って大きいレイヤーだと、結構落ち着いて、整理して話せるんだよね。

でも、「そういう社会を生んでしまった、ひとりひとりを作ってきたのは何か?」っていうと、家庭とか、親子関係とか。

【海】
学校とかね。

【三宅】
学校とか。

凄いミニマルな、ひとりひとりの個人的な、シェアしにくい体験の連続。

で、『NVC』が、まさにその名前が『Nonviolent Communication :非暴力コミュニケーション』っていうのは、 いかにその、「見えない、「つもり」のない暴力の応酬の中で人類は今生きてるか」っていうそこに、凄くフォーカスしてると思うんだよね。

【海】
それと、コミュニケーション。
俺がよく言うのは、うちらの母国語が暴力的な言語なんだよね。

【三宅】
それは何語なの?

【海】
うちらがみんな使ってる。

【三宅】
あっ、みんなそれぞれのね。
母国語がね。

【海】
そうそうそうそう。

だから「共感的なコミュニケーション」じゃないんだよね。

なんか、
評価と批判のプロなんだよ、うちら。

だからもうほんとに、誰かを見た瞬間にもう評価・批判してるんだよね。

まぁそれは役割もあって、「安全か」「危ないか」とかさ、そういう判断をする為にもあると思うけど、
結局、「あいつは悪い奴」「あいつは良い奴」っていうのを、だいたいみんなどこかでしちゃってて。

で、親からも、子どもの時から「良い子」「悪い子」、それを親として「やってほしい」「やってほしくない」。

それって子どもはさ、自分の身の安全は親との良い関係だから、もう親の価値観に合わせようとして、
でも親の価値観って結構ブレるから、だから基準がなく、とりあえず「親に喜ばれたい」「罰せられたくない」っていう、その「ご褒美」と「罰」をベースに、うちらは育っていって。
結局、「その構造が何なのか?」っていうと「ピラミッド構造」で、「一番パワーのある人に合わせていく」っていう生き方なんだよね。

だからそれが「親」、そして次に「先生」、そして次に「社長」「警察官」「政治家」っていう感じで、
やっぱり常に基準は、一番権力がある自分の身の安全を影響できる人に合わせて生きる。

そして自分も同じ、自分の下の人たちをその形で、先輩後輩の言葉使いもそうだけど、やっぱり結局、パワーの格差で相手の行動を誘導する、みたいなさ。

別に全部が悪い訳ではないけど、でもそれがやっぱり凄く暴力的になりやすい。

それはうちらの言葉使いからもスタートしちゃってて、意図的じゃなくても、もう組み込まれちゃってるんだよね、その構造に。

だからそこがやっぱり、
人間って凄くコミュニケーションをとる動物で、コミュニケーションを通してやっぱり哲学とかさ・・・からの関係性を作っていくから。

やっぱりそこに着目するってことは、凄く大事なことだし、言葉使いとか、もっとディープには「在り方の話」だけど、そこを変えられるようになると、ほんとになんか全然違う世界が広がっていく。

【三宅】
今日、ワークショップの中で、もうひとりのトレーナーの「安納献」君が、言ってたのかな、確か。

「赤ん坊は親に望まれない感情を自分の中から排除していく。封印していく。フタをしていく。
親とのやり取りの中で、反応が無かったり、喜んでもらえない感情やニーズを、どんどんフタをしていく作業って、実は生後4ヶ月の赤ちゃんが既にしている」

俺は離婚してて、娘がいて、「一緒にずっと暮らせなかった」っていう傷があって。

いつもなんかどこか申し訳なさと、「彼女にもっと色んな体験を、俺が与えられたはずのものを与えられてない」っていう負い目との戦い。

でも、「それを俺が持つこと自体が彼女にとって絶対に良いことじゃない」と思ってるから。

だからそうじゃなくて、「今、自分が少ない機会の中でも与えられる体験の濃度とかを高めよう」と努力するし。

でもなんか、「4ヶ月の赤ちゃんが、自分の中で満たされないニーズや、それによって生存が脅かされる、例えば叩かれたり、ごはんがもらえなくなるような感情のフタをしてる」と。

っていう中で、
なんか凄え良い子なんだよね、娘が。
物分かりも良いし、凄く気を使うし、大人をよく見てる。

でも俺の中で、それもせめぎ合いなんだよね。「そうさせちまったな」って。

結局、例えば「お父さんいてほしい」っていうニーズ、当たり前のニーズが、
でも「もう絶対それは満たされない」っていう前提の中で、彼女は2歳くらいから生きてきて。

「言っても始まんない」って自分のそのニーズには、多分どこかフタをしてると思うんだよね。

だからそこに想いを馳せると、俺は1回エキセントリックになって揺れるし、「そうさせてるなぁ」って思うけど、
なんか『NVC』の助かるのは、やっぱりそこに明瞭に光を当てて、1回苦しむんだけど、そこを明確化したことによって、例えばその感情に言葉を与えたり、
あるいは、「この感情の奥にある、ここから先、俺はどうしたいって思ってるんだろう」っていうニーズに言葉を与えてくれる。そういう努力をするじゃん。

だから多分、「モヤモヤして終わって、近所の(居酒屋の)のれんくぐって、一杯ひっかけて、忘れて寝る」っていう親父になってたかもしれないけど、
『NVC』的な方法論を通ると、1回、より傷口に触ることになるんだけど、自分の傷がどのくらいの大きさかを把握できるし、
結局それを直視した先にしかない、より希望的なニーズに、リーチできるんだよね。

それが俺の中で凄い刺激的だし、救いも感じる。癒しもある。

【海】
なんかやっぱり社会の色んな問題も、
例えば中国の人で、日本に来て差別されてる人とかさ、それがニュースに出るのと出ないので、全然立ち位置が違うじゃん。

だから、みんなが知らない中でずっと差別されて、でも、「社会的には誰も興味がないんだ」ってなると、どんどん萎縮しちゃって、どんどん辛い思いをして、
そしてその抑圧的な構造が強くなる。「あ、みんな別にやっててもいいんだ」みたいなさ。

でも、うちらの中でも、
それが起きてるから。

そういう「小さな傷」とかも、ちゃんとそこに光を照らさないと、「存在してる苦しみなんだけど、出れない」みたいなさ。

だから「低周波のストレス」みたいなさ。

で、「たまに爆発する」みたいな感じで。

でも、そこにちゃんと名前を付けて、「君、いるんだ」みたいな、「この傷、ちゃんとあるんだ」って言うだけでも、癒しが生まれる。

「そうだよ、ずっといるんだよ、俺は」っていう。

で、更になんかやっぱり『NVC』の美しいところは、で、特殊なところは、
それを「変えよう」とするわけでもないんだよね。

傷とか、喜びでもいいんだけど、
「ただ寄り添う」だけ。

「寄り添うだけで、自然治癒力が働いて、勝手に癒されていく」っていう。

結局うちらも、結構色んな苦しみとか抱えてるけど、その苦しみに誰かが寄り添ってくれると急にそこから解放されて、また元気な自分に戻れる。ほんとそれだけのこと。

だからなんか俺はそこが、凄いパラダイムとして凄いな、っていうかさ。

「何かを解決する」とか「直す」とかじゃなくて、「ただ、居てあげる」みたいなね。

「ヨシヨシしたら、直った」みたいなさ。

【三宅】
それもかなり俺も『NVC』の好きなとこだよね。

なんかまぁ、ある人が嘆きを発した時に、「嫌なことがあった」とか、「学校で自分は嫌われてる」とか、何でもいいんだけど、「仕事がうまくいかない」とか。

で、そこに対する反応として、それも思いやりベースなんだけど、同情してひたすら同情の言葉を与えたり、それから、「それはお前が悪いんだよ」っていう批判をしたり。

【海】
一番、辛いよね。

【三宅】
一番、辛い(笑)

で、あげく、そこからアドバイスが始まって。

【海】
そうそう。
「こうしたら良いよー」って。

【三宅】
でもその人が望んでるのは、実は嘆き切りたい訳で。

だから外で嫌なことあって、泣いて帰ってきた子どもがお母さんやお父さんの胸に飛び込んで、
あるいは、おじいちゃんやおばあちゃんの胸に飛び込んで「何を求めてるか?」っていったら、
別に「その問題を回避する為の知恵」でもなければ、「もう1回やり返してこい!」でもなければ、
ただ、「そうか、ヨシヨシ。お前はその自分の大事な何かを相手に壊されて、今、凄く悲しいんだね。お前にとってそれは凄い大事だったんだよね。ヨシヨシ」っていう、ただ寄り添ってほしい。

で、まぁ子どもたちっていうのは、そうやってワァーってひとしきり泣くと、ケロっとして、もう忘れてしまう。
もうリトリートが完了して、次の楽しみに歩んでいく。

その「ヨシヨシ」がないんだよね、大人になると。

【海】
そうだね。まぁ子どもでもね、結構、今はないと思うね。

【三宅】
子どもでもね、そうだね。

ただ、「ヨシヨシしてあげる」って選択肢を、俺も同じ側に立った時、聞き手になった時に、考え過ぎてすっ飛ばしちゃう傾向があると思う。

【海】
どこかでうちらの社会は、強さを凄く重要視してるから、 「強くなれ! 強くなれ!」みたいな、特に男はそうだけど、その「強くなれプレッシャー」と、
うちらのじゃあ、「サバイバルする為には強くなっていかないと」みたいなさ、そういう傾向があるし。

もうひとつ大事なのが、
正しさを凄い押し付けるんだよね。

「誰が正しいか」みたいなさ。

「お前殴られたのか? なんで殴られたんだ?」みたいなさ、「誰が正しい、誰が間違ってる」を追及する。

で、活動もそうなんだよ。

結局、「安倍が悪い」とか「原発を作った人が悪い」とか「その後のメディアの反応が悪い」とかさ、常に「正しさ」「間違ってる」っていう、その「道徳的なそこ」を軸にしてしまって。

で、ほんとにこれは凄いでっかいことだと思うんだよ。

なんかほんとに、社会変革も全部だいたい「道徳的な正しさ」を原動力にしてきて。

でも、やっぱり『NVC』がやろうとしてるのは、その「道徳的な評価」と「批判」を基準にしない。

「ひとりひとりの、ありのまま」を基準にしていて。

「正しさ」なんかもう、ほんとに宗教とかも色々見ていくと、結局みんな似てることを言ってても、ちょっと基準が「こっちはアルコールだめ」「こっちは大麻がOK」とかさ、そんな色んなさ、その宗教によって世界観が違って、
その人たちの正しさは、その人たちの正しさだけど、やっぱりそれが基準になってしまうと、みんなが調和することないんだよね。

で、「結局、誰が決めてるの?」っていうと、それは人によっては「それは神だ」とかって言うけど、色んな神がいるからさ。

だからやっぱり「違うレイヤーで繋がりを作っていかないと永遠と争い続ける」っていうので、
「道徳的な評価」とか「批判」「正しさ」とか「間違えてる様」とかじゃなくて「ひとりひとりの命のエネルギー、ニーズベースでベストを尽くしていこうよ」って。

そうすると、それぞれの世界観はあるけど、でも結局、みんなごはん必要だよね。結局みんなリスペクト欲しいよね。結局みんな、コミュニティーが大事だよね。
結局みんな身の安全とか、大事にされたいとか、それはもう全ての人に共通だよ、みたいな。

テロリストでさえ、ちゃんと家族を大事にしてるし、認められたいし、話を聞いてほしいし、みたいなさ。

【三宅】
テロリストのニーズって『NVC』的に言語化すると、めっちゃシンプルだよね。

「認められたい」それから「身の安全を確保したい」。家族の安全も。人によっては、もうその家族が死んでたりもする。

【海】
あと「貢献」。

【三宅】
「貢献」、そうだね。

【海】
より大きな、「神」だったり、「自分のコミュニティー」だったり、その組織の為に貢献したい。

『神風特攻隊』なんか、テロリストと同じだからさ、やってる行為と立場的に。名前が違うだけで。

【三宅】
「自分の身を粉にしても、命を使ってでも貢献したい」っていう。

だから「戦争が良いか、悪いか」っていう議論と別に、テロリストとか神風特攻隊を。

【海】
兵隊もね。

【三宅】
兵隊もね。

俺は戦争、嫌い。
だけど、昔ほど「戦争」っていう非人間的なこの対象を嫌うのと、そこに従事する人たちに対する感情は凄く変わってきたし、
彼らをもっと「人間」として見た時に、ある意味、例えば「靖国(神社)」に参拝したい人の気持ちも分かるようになったし。

自分のお父さんやおじいちゃんが戦争で死んでたら、だって戦後の「経済成長」って、みんなのアッパーな時代の中で、大黒柱のいない、あの当時の母子家庭で育つって、今と全然違うと思うし。

そういう中で「俺のお父さん、意味のあることで死んだんだ」って誇りに思いたかった人たちの気持ち、
それ、めちゃくちゃ美しいじゃん。

で、そこで死んでいった人たちの「貢献のニーズ」も絶対美しいし。

そこの一番奥にある「共感」を掴み合わないと、じゃあ「戦争は良いのか悪いのか」の話ができないよね、っていう。

そこをやっぱり、ほんとに社会を変革したいから、だから俺は「安倍昭恵」さんとも会うし、「安倍晋三」にも、ただ中指突き立てるのが、なんかそれは絶対したくないし。

だから俺は選挙に出たんだよね。
それが俺の最大限のリスペクトの示し方。

つまり、「代わってくれ」。

「あんたの苦労、俺が背負うから、
代わってよ」。

これが当時の俺の中で一番、相手に対してリスペクトと共感のある「あなたのやってることに反対です」っていう示し方だったんだよね。

まぁ、早くも1時間が経過したっていうテロップが送られてきたんですけど。

【海】
あ、1時間だっけ? まだ。

【三宅】
そう、まだ1時間。

【海】
凄え。2時間くらい喋ったかと。

【三宅】
(笑)2時間くらい喋ったと思う。

【海】
うちらのことだからさ。

【三宅】
まぁ『NVC』を、1回の何かで語り切れるとは思わないけど、 凄く多分、今の1時間の中にもエッセンスがいっぱい散りばめられてるな、と思うし。

あるいは多分、お互いの話の聞き方とか、受け方とか、喋り方や沈黙の仕方の中にも、多分『NVC』の色んなエッセンスが詰まってた、そういう時間だったような気がする。

【海】
ここでもう〆ちゃう?

おばあちゃんの話をしてほしいな。あれ、「めっちゃ良いなぁ」と思って。

【三宅】
あぁ、OK. そうだね。それは是非、今日観てるみんなにもシェアしたいんだけど。

『NVC』のワークショップの中で、今日は近所のお寺まで20分くらい歩いて、2人1組のペアを作って「共感のトーク」をしながら、とにかく歩くんだよね。

「あなたにとって、調和のニーズってなんですか?」「調和?」とかそういうことを、ほんとに2人で見つめ合いながら話す。

で、僕は、自分のパートナーになった人と、結構良い話をして、往復40分歩いて帰ってきて、2人とももう凄い開いた状態。

で、まさにその『パーマカルチャー道場』の大家さんでしょ?

【海】
大家さんの親戚。

【三宅】
親戚だ。

ママチャリに乗ってゴム手袋はめた、農家のおばちゃんがですね、出てきて。
なんか僕ら普通にそのノリのまま、開いたまんま2人で、「こんにちはー!」って挨拶をしたら、
気がついたら、もう10分後には、そのお母さんが若い頃にあった自分の辛い話を、泣きながら俺たちにしてたんだよね。

【海】
初対面だよね?

【三宅】
初対面。

しかも最初、「あっ、お母さん、こんにちはー!」、「あんたら産んだ覚えはないよ!」って言われて。

「ですよねー、なんて呼んだらいいですか?」って言うところから始まって。

最終的には「ババアでいい」っていうところまでいったんだけど。

「ババアって呼べ」って言われて。

まぁそれはさすがにだから、
「おばさん」って言ってたけど(笑)

でもなんか、「人間って開き合ってると、やっぱり時間要らないんだな」って思った。

彼女も「普段から凄く開いて生きてる人」だと思う。こういう田舎で、都会で色んな障壁の中とは少し違うシチュエーションで、
で、もう年齢も年齢で、結構もう無に帰ってきてる感じがあるから。

でもなんかやっぱり、「相手をそうさせる自分かどうか」なんだろうなっていうのが、凄い強烈な体験だったし、喜びだった。

自分の中で全ての人と繋がりたいニーズが「そのニーズ捨てたもんじゃねぇな」「できるかも」みたいな。

【海】
それはほんと素敵な話でさ、まぁ「エネルギー」だと思うんだよ。

「エネルギー」っていうと、なんかちょっと伝わりにくい言葉だけど、まぁ「在り方」。

俺、あの同じおばあさんと何度も、挨拶くらいしかしたことないの。

で、俺はどっちかっていうと、なんか「あ、親戚のおばあさん来て、何取っていくんだ」みたいなさ、結構なんか色々持っていかれてたりして。

やっぱりうちらが借りてるのに、親戚の人たちが自分たちの場所だから使ってて、そこに結構ウンザリしてたり。ちょっと守りに入ってるんだね、俺。

だからちょっとなんか挨拶、なんか親切なこととか、とりあえず近所関係だから挨拶はするんだけど、ハートは全然開いてない。

「何しに来た?」みたいなさ。

で、やっぱりそのエネルギーは伝わっているから会話も弾まないし、お互いあんまり、「チッ」みたいなさ、「オメェら、いるのか」みたいなさ感じだったの。

だから今の話を聞いたら、やっぱりほんとになんかもう、開いた状態で彼女に向いたら、なんていうのかな、それって、なんかやっぱり心が感じるんだよね。

神経学的にもさ、「ミラーニューロン」っていう、うちらの脳の中で相手の感情を鏡のように同じような反応、同じような感情を起こす。そういう仕組みになってて、やっぱりほんとに心が開いてる。

子どもとかも、まさにそう。

赤ちゃんといると、
なんか自然に無防備になっちゃったり。

赤ちゃんの周りにいる人が、みんなどんどんアニメのキャラクターみたいに「アァ~笑った~♪(子供をあやす身振り)」みたいなさ。

でもやっぱりそれってほんとに、なんていうのかな、大人でもできることで。
うちらが凄く無防備で、ただ幸せそうに、「大丈夫」みたいな感じで繋がったら、急に心が開ける。

で、やっぱり逆に、満員電車みたいに、「とりあえずもう、みんないっぱいいっぱいなんだー!」ってなると、何にも開かない。

だからやっぱりその「開いた世界」を、うちらは自分の心の中で作ろうとしていて、
自然になんか、洋平君の話みたいに、ふとした時に滲み出ると、そこにやっぱりその「世界」に誘われていく。
「あ、出して良いんだ」みたいなさ。

【三宅】
俺が感じたのは、凄くその彼女の「嘆きを出したかったんだろうな」みたいな。長いこと。

「突然、今日やってきたんだね」と思うんだよ。

俺と奈良さんに囲まれて(笑)

まぁ「もうひとり」っていうのは、
奈良(大介)さんっていう、ご存知の方も多いと思うんですけど、パーカッショニストの。

まぁ2人ともミュージシャンで、ミュージシャン同士が「調和のニーズ」とかについて散々1時間、「俺にとっての調和ってね」とか言って語り尽くして、
神社とお寺でパンパン(手を叩く)やってから戻って来てるから、もうパッカーンの状態で、
なんか「おばちゃん来たなぁ」と思って話したら、彼女の中のニーズを凄い見れたし、俺も、俺たちも、彼女も、凄い癒される瞬間だったなぁ。短いけど凄く貴重な時間で。

たぶん普通だったら、
天気の話で終わってたと思う。

そうだね、あれは良かった。

何となく体感的にというか、こういうエピソードから「NVCっていうものを活用して、僕らが何をしようとしてるか」っていうのが少し、少しでも伝わってほしいなと、強く願っている。

【海】
(笑)内ネタだった。

【三宅】
あっ、そうか。
これまだ伝わらないやつ。

まぁ「伝わらねばならない」「伝わるべきだ」っていうエネルギーじゃないものにしたいなぁ、っていう工夫をしていて。

【海】
ちょっとそこに、
ぎこちなさもあったりするんだよね。
うちらもなんか違う、なんかやっぱり母国語から離れようとしてるから。

【三宅】
カタコトなんだよね。

【海】
そうそう、みんなも慣れない、なんか「何その表現?」っていう部分もあるし、
うちらもやっぱりね、学び直して「元に戻ろうとしてること、おっとー」っていう感じで、表現しようとしてるから。

まぁその「ぎこちなさ」も、うちらの今の成長過程のひとつの美しい証、みたいな感じで俺は好き。恥ずかしいけどね。

スムーズに喋りたいから慣れてる日本語で言いたいけど、でもやっぱり今この新しい言語を練習してるから、ちょっとやっぱりそこでいきたい、みたいなさ。

【三宅】
さっき冨田が言ってた、その「ほぐした織物」今まで自分らが包まれてた物をほぐしてるんだけど、なんか否定はしてないんだよね、たぶん。

で、その「べき」とか「ねばならない」と、俺たちに教え「ねば」ならなかった親たちのニーズも美しい、って思えるし。
きっと彼や彼女も更にその親に、ましてや、あの戦争の動乱の時代に、もの凄い沢山の「ねばならない」や「べき」、たぶん生きる為に。

だからそれ自体も、
凄いなんか愛おしいし。

そうするとその「ほぐした布」って、
多分、全部再利用できると思う。

ただ、違う織物に織り直そうとしてて。

なんかでも、
前だったら脱ぎ捨ててたかもしれない。

でもそうすると「裸で寒い」「やっぱり着よう」みたいな。

じゃなくて、ほぐしたものでもう1回、自分の望むものを組み立て上げてる旅が、始まったばっかりだなっていう。ヨチヨチ歩きの。

人類哲学の新しいチャレンジだと思う。

色んなやり方でやってると思う、みんな。『NVC』じゃなくても。

僕らの子どもたち世代を見てても、
早くも変化が起きてる気がするんだよね。

ほんとに争わない子、増えたなぁと思うし。

それを「草食」だの「覇気がない」だのっていう表現をする前時代的な大人もいるけど、ある意味、彼らはなんかもう黙って悟り始めてるような気もするし。

他方で「や、ほんとに体力落ちてるんだよ」っていう説もあるし。

まぁ両方だと思うんだけどね。

人類とにかくまだ俺は「いけるんじゃないかな」って。

選挙とかでマジマジと見てしまった人間のリアリティーに1回絶望してた気持ちを、
結構俺はこの2年間、『NVC』と『パーマカルチャー』を通じて、「政治的である」っていうことの在り方をもう1回、織り直してる。

凄くそこに、希望も感じてる。感じられるようになってる。

だなぁ。

・・・

あとは、こういう沈黙を味わえるようになったかな。

【海】
カエルの鳴き声とかね。

【三宅】
今入ったエモーションの名残とかを、
次の言葉で埋め合わせずに。

「って言ったなぁ、俺、今」みたいな(笑)

「沈黙を恐れる癖」っていうのも多分、今日俺たちが語ってきた「色んなトレーニングをされてしまったもの」のひとつ。

「なんか気まずい」「沈黙だ、なんか言わなきゃ」「オチ、着けなきゃ」「ここ俺がボケるとこ?」とかさ、そういう。

でも『NVC』は結構、時として誰かが凄く大きなエモーションを出した後に、
凄く確信的に沈黙を共有する時もあるよね。

【海】
なんか、「受け取るスペースをみんなで作る」みたいな。

【三宅】
そうだね。

どうでしょう、じゃあまぁ冨田君の、「奥さんのケアをしたい」っていうニーズも存在してると思うし、
あと講師やオーガナイザーの立場として、この3日間やってきた疲れを癒すニーズもあると思うから、
今日も夜も深くなってきたんで、そろそろ締めくくろうかなと思うんだけど。

まぁズバリ、明日からの3日間に向けて、なんか思うところが、なんかビジョンとか気持ちがあったら、ちょっと簡単にシェアしてもらいたい。

【海】
いけますか? 冨田隊長。

【冨田貴史(以下:冨田)】
うん、そうだね。

なんだろう、その、希望と期待の違い。

「こうなると良いなぁ」っていう、想定できるプログラムとかスケジュールが進んでいくこととか、今の自分で見えてる「素敵でポジティブな明日、明後日が過ごせたらいいなぁ」っていうものと、
「本当の希望っていうのは作ってくものだから、どうなるか分からない」っていう世界で、「そこが今、結構見えつつある」っていう感じがしていて。

で、明日、明後日以降に、ほんとに何が起こるか分からない。

つまり、本当にひとりひとりが「存在」っていう、僕がまだ見てないとか、それぞれの意識の更に水面下にあるものが見える可能性、っていうのが今、凄く起きてるから。

出てきたものをただ祝っていったり、その時に湧いてくる「自分がそこでどうありたいのかっていうことに正直である」っていうことをしてくことによって、
自然発生的に起きていく「命だからこうなるだろう」みたいなことが、起きてくる気がしていて。

そこに対する恐れと不安と勇気と、
なんかとんでもない信頼があるかな。

「自然治癒力」っていうことを言ってたと思うんだけど、それが起きてることを今も凄く感じてるから、それも大っきいし。

あと1個は、例えば「ごはんを作る」っていうことをする時に、みんながそれぞれほんとに居たくてそこにいる中で、 俺は今、カマドの前に居て、なんでここに居るかっていうと、ほんとに俺はこの薪を大切にしたいし、ほんと美味しいごはんを作りたいし、そのエネルギーが凄くブレずにある感じがするし、
そういう自分でいることを「みんながほんとに助けて見守ってくれている」っていう感じがあるから、それによって、「これから何かが生み出されていく」っていう。

音楽でいったら「これからみんなでスタジオに入るところ」「何かが生まれるだろうね、分からないけどさ」っていう、なんかそういうものを凄い感じるかな。

なんかだからもう「学んでるっていうことではない次元に入ってる」っていうか。

【三宅】
「セッションできる奴ら」っていう。

【冨田】
そうだね。

あとは、「それができる世界だった」っていうことをもう1回思い出す。

なんか「そこに入ってる」っていう感じ。

【海】
良いねぇ~。

【三宅】
YAHMAN.

【海】
YAHMAN.

僕はね、なんか、とりあえず人が集まった時点でもう十分、みたいなさ。

あとはもう起きるから、勝手に。

だからある意味、今はただ、自分の大事にしてるものを、どれだけ詰め込めるかみたいなさ、感じで。

なんか結構楽しくやってるし、
凄い自分と向き合ってる。

「自分がどういう部分で無理してるか」とか、「どういう部分でもっと本音でいられるかな」みたいな。

まぁ「自分の修行を楽しむ」っていうのと、
これから社会変革の話、この非暴力をテーマとして社会変革の話をしようと思うんだけど、
やっぱりそこが結構ちゃんと、自分の言葉とかエネルギーをチェックしてないと、ついついやっぱり「正しい」「間違ってる」みたいな方向に行きやすいから、
それがちょっとなんかこれから、ちゃんとできるかなぁっていう。

あとはなんかね、僕は凄いこういう合宿で好きなのは、自然に小さな声とか辛さとか悲しさに、ハートが向くんだよね。

だから俺が「この話したい」って言っても、なんかここでヒソヒソって泣き声が聞こえると、ハートがキュゥとそっちに動いて、他のことはどうでもよくなる、みたいなさ。

「今ここで悲しみがある、それはみんなの悲しみでもある」っていうその感覚、そこにちゃんと入りたいなっていうので、だから「頭からハートになるべく戻ってくる練習」っていうのと。

あと、まぁこれを観たり読んだりする人たちと一緒に考えていきたいのは、
「どうやってうちらは自分たちの優しさを育めるか」っていう。

俺も、もっと優しい人間になりたい、もっと思いやりのある人間なりたくって。やっぱりそれって結構日々の工夫があると、どんどん育っていくから。

で、それをみんな育て始めたら、
最高な世界になっていく。

もうそこで革命が勝手に、共感の革命が起きるから。

それをみんなで真剣に、そこを考えたい。

それ以外でやってることも、いっぱいあるけど、「結構大事じゃない? 自分の優しさとか思いやり」っていう。

だからそれを育てるムーブメントの一環として、明日もそれに意識をちょっと向けようかなって思ってる。

【三宅】
いいねぇ。

【海】
うん、ありがとう。

【三宅】
俺は明日以降、まぁひとつは、ラストナイトにタレントショウがあって。

参加者たちが、もう全然歌えない人も頑張って歌ってみたりとか、頑張ってラップする人がいたりとか、初めて人前で披露する楽器を弾く人がいたりとか。

【海】
漫才とかね。

【三宅】
漫才をやる人もいる。

そういう実はその無防備な自分の表現、プロでもないかもしれない部分っていうのを、「受容してもらえる仲間たちの前で出す、自分の無防備さ」っていう意味では、
実はただの余興でもないし、ただの宴会でもないし。いや、もしかして元々昔の「村の宴会」ってそういう役割りだったかもしれないし。

いつもは堅気のあいつが、腹に絵を描いて「腹踊り」するみたいな。半分裸で。

でもそれって多分、いつもは恐い長老が、「面白ぇぞ」つって受け止めてくれる、今日は笑ってくれる。で、みんな飲んでる、っていうスペースと場に対する安心感。

「だから俺は受け止めてもらえてる」っていう喜びの確認でもあるし。

で、まぁそのタレントショウをオーガナイズするひとりとして、これは毎回結構、まぁなんか、つい自分の本業のさし障るジャンルなんでね。なんかこう。

【海】
ハードルを上げるよね。

【三宅】
(笑)

【海】
みんなも踏み込めない。

【三宅】
なんか「絶対面白くしたいなぁ」みたいな気持ちがね、オーガナイザー根性が、一番働く部分で。

でもなんか、他に動いてくれてる人たちがいるから、 結構、俺は大きく見ながら、みんながやってくれてるのを見てるんだけど。

まぁでもやっぱり、それが心のウエイトとしては、ひとつある。

で、何千回歌を歌ってきても、自分が歌うことが決まってる日の数日前は、やっぱりそれはなんか、「おぉ、数日後、何歌おうかな」とか、「まぁ言うても、ビシッと締めねぇとな、俺が」みたいな(笑)

「締めねぇとな」っつうか、うん。「良い歌、聴かせたいなぁ」っていうのが、あるんだよね。

それがひとつウエイトとしてあるのと、まぁ「この3日間がどう」っていう部分じゃないかもしれないけど、今回のもうひとつチャレンジが「子ども、同在」

【海】
うん、そうだったねぇ~。

【三宅】
0歳児から、8歳くらいかな?

【海】
うちの子も来てるからね。

【三宅】
ね。

キッズが今回はもうとにかく、この会話ベースのワークショップの中で、子どもの叫び声や泣き声がデフォルトで存在し。

で、俺、これが今回凄い良いチャレンジだったし、
ちょっとこれ、イリテート(Irritate:イライラ)される瞬間があったりする訳じゃん。自分の大事な話してる時に。

【海】
30人くらいの輪で、急に子どもたちがビー玉投げ始めたり、「ギャアー」みたいな感じで。でも、今凄い大事な心のこと言ってたりね。

【三宅】
一生に一度のむき出しになろうとしてる人が、「あ」ってそこで止まっちゃったりとか。

でもそこで俺たちは、ほんとに色んな選択肢を問われて。

「これを今、何か言うべきなのか」
「OKにするのか」。

でも多分、今出てる答えは、俺たちも向こうからすれば、好きにしてるんだよね。大人にしか分からない話を何時間もしてて。

ってことは「好きにしててもらうしかない」っていう無言の結論が、今回共通で出た気がする。

で、たった3日で分かったことが、
彼らの存在のギフトがでかい。

「こんなに子どもが教えてくれるんだ」っていう。

だからもう、
大成功だなっていう。

【海】
本音で生きてるからね。

【三宅】
ね。

『NVC』には欠かせない存在たちだよね。

そう、だからこの残りの3日間も自分の中では、「子どもたちに対するフォーカス」っていうのがあるなぁ。

あとは、子どもたちを頑張って育てている、育もうとしている親たちの祝いと嘆き。

自分も曲がりなりにも2歳までは一緒に住んでたし、まぁ離れても家族だからやっぱり「親の嘆き」って見えてくるから、 なんかそこは「見える者としてのサポートは何かなぁ」とかよく考えてるんだよね。

「海の奥さんがここに帰属意識持ててるか」とか、「冨田の奥さんがここに一体感を」とか、「認められてる感情を持ててるかどうか」っていうのは、何か自分が効果的な発言を投げ掛けられてないとしても、やっぱり凄く気にしてて。

うん。

まぁそういうところをまた見つめながら。

あとは自分の、「もっと自分を褒めてあげる瞬間」「もっと自分の嘆きを認めてあげる瞬間」っていうのも、きっとこの3日間の中に出てくるだろうし。

ただ、初めて『NVC』に触れる人たちの顔を見るのが楽しい。フレッシュで。

なんか「手伝いたいなぁ」って気になるから。

その段階に一歩、自分がステップを歩んだんだなぁっていう感じも喜びかな。うん。

そんな感じで、
心地良い疲れの感覚と共に、
カエルの声と共に、
良い対談が撮れたんじゃないかなと思います。

また今後も折り入って、こうやって僕らが顔を合わすチャンスでは、なんかこういう形で、言葉を残していこうと思ってます。

まぁ1回で分かることと、分からないことを両方、ゆっくりホールドしていってほしいし、
もし身近なところで「海君、来るよ」とか、「安納献が来るよ」「鈴木しげこ、来るよ」「小笠原春野、来るよ」っていう情報を掴んだら、
俺から言えるのは「是非!」「是非、飛び込んでみて!」っていうのが、僕からの願いというか。

今「アドバイス」って言いかけて「願い」って言い換えた(笑)

【海】
Nice.

【三宅】 ありがとうございました!

【海】
ありがとう~。

【三宅】
明日からもよろしくお願いします!

【海】
はい~よろしく~。
お疲れさま。

【冨田】
ありがとう~。

【三宅】
Yeah.

【海】
Yeah.

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